渦巻く知識

文化とはなにか

ネット上で新しい流行が起こると、文化人たちが
「この様なものは文化ではない」
と言う。彼らは異口同音に今までの伝統に則していないものは文化ではないと嘯く。
文化とは伝統に則していなければならないのか。それが私には甚だ疑問であった。

⁂和歌にみる伝統

伝統とはなにか。
連綿と続く歴史がある。伝統とはその歴史の中で醸成され、受け継がれてきたものである。ではそれはいつ始まったのか。
いかなるものにも必ず始まりの時はある。伝統とされるものはどの時を以って始まりを迎えるのか。
和歌というものがある。神話の時代に素戔嗚尊が読んだとされる
「やくもたつ いづもやへがき つまごみに やへがきつくる そのやへがきを」
と言う歌がその始まりであるとされ、現代和歌とはこの五七五七七の形式を持つ短歌のことである。
もっとも元来の和歌とはこの形式だけを指すものではないが、少なくとも今の時代にも短歌という形で和歌は受け継がれている。

この和歌とは伝統的とされるか。
およそ文化人は『和歌は文化』と嘯くだろう。
なぜならばそれは確かに神話の時代から受け継がれてきた表現の技法だからである。それは伝統というものを形にして現代まで千代に受け継がれてきた。
この『和歌』の始まりはスサノオの時代まで遡る。
だがこのスサノオが歌を詠んだ際に、彼は「これは和歌という文化である」と言ったとは伝えられていない。そもそもスサノオはこれを文化的活動として詠んだわけではない。これはかの八岐大蛇を討ち取ってクシナダヒメと結婚することになったスサノオが、新しくできた家を見て詠んだ歌である。
この時スサノオは文化がどうのこうのといったことは言っていない。だがこの時に詠まれた歌が日本の伝統的文化である『和歌』の始まりとされている。

その始まりはいつか。
『古今和歌集仮名序』に於いて紀貫之が和歌とは何かを語っているが、その中にこのエピソードが現れる。
『人の世となりて、素戔嗚尊よりぞ、三十字余り一文字は詠みける』
と云う一文からこの歌が和歌として人の世の最古たるものとされている。
つまり和歌という伝統が、伝統として生まれたのはこの紀貫之による記述によるのである
この『古今和歌集仮名序』は平安時代に記された文献なので、和歌とは平安の時代に伝統的文化として認められ、今も尚連綿と受け継がれていると考えられる。
だがここで、『和歌』とは『文化』であると云うのはどう決められたか。少なくとも紀貫之によって、『和歌』の始まりが神代の御世にスサノオの手によって生まれたというのを我々は見たが、それが『文化』と成ったのはいつか。この時、紀貫之によって記された『和歌』というものは、かつてあった技法として廃れても良かったはずである。それが受け継がれてきた。この事実こそが、まさしく『和歌』を『文化』として形成させたのではないか。
思うに、廃れてしまった様式は、かつてあった『モノ』として歴史の中に或いは残り、或いは葬られてきた。それが廃れることなく受け継がれていることは既にそれが『モノ』ではなくて、『文化』であるというに他ならない。
歴史の中で埋もれた『モノ』は数えきれぬほどあるが、『文化』とは確実に今も続いているものである。


⁂形ある文化

この時、私は伝統的な建造物を思い出す。それは確かに『モノ』として今もなお私の目の前にある。それはただの『モノ』であるはずなのに、そこに我々は文化の影を見るのである。

それはなぜか。

建築の技術が受け継がれているのは知っている。だがその場合、『文化』とはその技術に対しての呼称であるべきであって建造物への呼称ではない。それなのにそれを我々は『文化的建物』だとか、『文化を代表する建造物』だとかと呼んでいる。この時『文化』とは何か。
例えば古い寺があったとして、それを史跡だとか文化的価値の高いものだとか喧伝して保存を図る勢力がある。彼らの言い分は確かに今まで受け継がれてきた建造物を保存していこうと云う前向きな姿勢ともとれる。だが問題は、そこに本当に『文化的な価値』があるのかどうかという点だ。そもそも前述のとおり文化とは、何かが廃れることなく受け継がれている場合に、それが『文化』として形成されるのである。建造物は一見受け継がれてきた様にも見えるが、その実それ自体は建築された当時のままの『モノ』でしかない。常に建築され続けているのであればその行為を『文化』と名付けられなくもないが、既にそこに『モノ』としてあるだけであるならば、それはただ単に『古いモノ』でしかないのである。
そこに『文化』としての価値はない。
だが我々はそれに『文化』的価値を見いだす。それはなぜか。

断言する。歴史的建造物に『文化』としての価値はない。
それは既に古ぼけた『モノ』であって、ただ風化していくだけの『モノ』である。その建造物はやがて来る終わりの時を待っているだけに過ぎず、今なお残っているのも受け継がれて来たのではなくて単に歴史の偶然が重なったに過ぎない。
考えても見てほしい。歴史として京都に都が移されたのは八世紀の時分である。だがそこに建てられた建物などは応仁の乱でその多くが消失した。残ったものも「残そう」と誰かが意志して残されたわけではない(無論破壊を免れるために戦った者はいたであろうが…)。
偶然にも消失を免れたものがそのまま今も残っているに過ぎない。
なにも「文化的価値がある!保存せねば!」と誰かに守られたわけではなく、今もなお残っているだけのだ。それは決して文化的な『モノ』などではなく、単に今もなお残っている『モノ』に過ぎない。建造物に文化的価値はない。
しかし尚も我々はそれらに文化的価値を見いだす。古くから残る『モノ』を破壊するには憚られる。残して置かなければならない気がするし、特にそう言った歴史的建造物を小さい頃から知っているとその破壊を良しとはできない。

それは、その『モノ』ではなくて、その『モノがあること』こそが『文化』だからである。
我々はそれらに価値を見出しているわけではない。我々は常に、それらが『存在している環境』にこそ文化を見るのである。
前述の和歌に見るそれが『受け継がれてきたこと』こそが和歌を『文化』として形成させたと云う点に同じく、これら建造物自体に対してではなく、その『建造物が存在し続けていること』がそれらを『文化』たらしめているのである。
繰り返すが建造物そのものに文化的価値があるかと問われればそれはない。あくまでその建造物が存在し続けていることにこそ文化的価値があるのである。建造物そのものにあるのは芸術的な美しさであり、それ自体には文化的価値はないのである。
文化とは、常に続いているものである。それは主体性を持って続いているものである。
建造物のある環境は連続性と主体性を持ち合わせている。なぜならばその環境とは既に『そこに生きている人の感性』だからである。環境とは決して建造物だけでは作られない。そこに生きる人の営みをも包括したものが環境であって、その建造物と共に生きている感覚こそが『文化』なのである。それは断続的にあるのではなくて間違いなく連続している。そうしてそこに主体的に感じる環境こそが遂には『文化』として形成されているのである。


⁂文化の連続性

伊勢神宮は三重県伊勢市にある神社本庁の本宗である。正式な名称は『神宮』であり単に他の神宮と呼ばれる宮と分けるために伊勢神宮と呼ばれる。この伊勢神宮では、二十年に一度『式年遷宮』というものが行われる。
式年遷宮は、宮地を改め社殿や神宝の全てを新しくして、大御神に新宮にお遷りいただくという儀式である。
この儀式によって、神宮は新しいものへと遷り、かつて神宮であった『モノ』は破壊される。だがこの破壊は断絶の意味をもつ破壊ではない。この『式年遷宮』こそが、まさしく『文化』の象徴であると私は考える。
新宮は神宮の模倣であり、同時に神宮そのものでもあるのだ。そこにあるのは絶え間なく続く『文化』そのものである。建造物が持つただ朽ちていくだけの宿命を克服し、それ自体を『文化』の具現足らしめている。持統天皇四年(西暦でいうところの690年)より行われてきたこの伝統は、約千三百年を経た今もなおこの連続性を保っている。この『式年遷宮』に見る文化の連続性は、偏に滅びることのない『文化』とは絶えず新たなものを創造することであると我々に教えてくれる。伊勢神宮を護ることは、即ち伊勢神宮を『新たに創ること』なのである。
ここに『創造』と『護ること』の同一化が行われている。即ち『文化』の持つ連続性とは『創造と護ることの同一性』の証左である。続いているということはそれは創り続けられており、かつ護られていることなのである。それは常に創造的でありつつそれゆえに主体的であり続ける。伝統は常に今この時に生まれ、また滅びている。それは絶え間なく続く歴史そのもので、それこそがまさに『文化』なのである。

⁂続かないものは文化ではないか

これまで伝統という側面から『文化』を見てきた。ではここで、最初の疑問に立ち返る。
「文化とは伝統に則していなければならないのか」
『文化』の持つ連続性と主体性については確認できたが、それらは常に続いていなくてはならないのか。歴史の中で葬られてきたものは最早『文化』ではなく、それは単に『モノ』でしかないのか。
ここにもう一度建造物の件を思い出してもらいたい。それは一見『文化』的価値を持つかに見えるが実はそれ自体が文化的なのではなくて、それが存在している環境こそが文化なのであると説いた。なぜならば連続しているものは環境であって、その建造物はすでに滅びゆくしか道がないのだから、それは既に終わっている『モノ』なのである。『式年遷宮』の様に永続的に続き往くものではなくて、終わりのある『モノ』。で、あるならば、それを取り巻く環境も、やがて終わり往く宿命の『モノ』ではないのか。
これは違う。なぜならば『環境』の中には人がいる。そして彼らはまさしくその『環境』の中で生活をしているのだ。
『生活』とは、連続性と主体性を持つ。ならば『生活』とは前述の『文化』そのものではないだろうか。それは絶え間なく続いていていかなる時も主体的である。これまで述べて来た全ての説明と合うように感じられる。
だがここには、実は足りないものがある。それは『護ること』の顕現である。『生活』は確かに連続性と主体性を持ち得てはいるが、それ自体を『護る』必要性はない。生活は常に新しいものへと移り変わり、ついさっきの行動すらも一瞬にして滅んでしまう。その行動には維持する必要性がなく、ただこの刹那にそれが必要足り得るのだ。だから『生活』は厳密に言えば『文化』ではない。

話を戻す。伝統に則していないものは文化ではないか。
これを考える上では、『伝統』とは如何にして『伝統』足り得るかをやはりはっきりとさせておかなければならない。例えば和歌のように神話の時代から続いているものは伝統的と言えるだろう。また、式年遷宮のように持統天皇の時代(西暦にして690年)より続いているものもまた、伝統的と言えるだろう。
では伝統的とは、古い時代から続いていればいいのか。逆に言えば、古い時代とはいつなのかがはっきりすれば、伝統のなんたるかはわかるのか。
この問いを考えると、結局のところ行き着く答えがある。それは、『伝統』とは常に再帰しているというものである。
前述の説明では、『文化』のもつ要素に『連続性』というのがあった。確かに連続性を持つものは連綿と受け継がれてきたことの証左であり、それはこらからも続き得る可能性を示唆している。だが『伝統』とは、連続していてもそれが時代を経ていなければ中々認められないものである。
例えれば、去年の流行が今年も続いていて、そらは『伝統』と呼べるだろうか。これは『伝統』ではなく、所詮は息の長い『流行』である。それはなぜか。確かに去年から『連続』しており『主体』的にその行動が起こるものであれば前述の条件を満たすものである。『生活』のように一瞬一瞬に終わるものではなくて、続いているのは間違いない。
だがそれには、『再帰性』がない。
『再帰性』とはなにか。それはものが再び元の状態に帰ることが可能な性質である。すなわち『創造』することが『護ること』と一致する事である。それはそれが『モノ』として現れた時に、それが再び主体的な『モノ』として創り出されることがすなわちそれを『護る』ことになるかどうかに掛かっている。
『文化』の連続性とはただ連続していることを要件としているのではなくて、連続的に『創られて』かつ『護られて』いることなのだ。
この『創造』することこそが『再帰性』の端緒である。創造とは常に新しいものではあるが、そこに同時に古いものへの再帰性が確保される。そのときその『モノ』は明らかにその『文化』を護るのである。常に『モノ』の創造が『文化』を護ることにつながることこそ『文化』の真の価値であるといえる。
だから『文化』とは何も曖昧な『伝統』に則している必要はない。それが常に再帰し、創造され、護持されているものなのであらばそれはもう文化的な価値を得るのである。
歴史的建造物がある。これ自体は確かに文化的価値はない。だが、それを建造する上で扱われた技術が、今もなお新たな建造物のために使われているとすれば、それはまさに『建築の文化』なのである。歴史的建造物を保護しようとする意義はこれら歴史が明らかに続いていることを表し、かつそこに文化の命脈を見るためにある。そこにあるのは歴史的価値と芸術的価値であってそれは決して文化的価値ではない。

『生活』とは断続的なものである。それは一瞬一瞬に必要とされるだけで決して護持されずまた再帰することもない。ただその様式とはまさに創造され続け、絶え間なく続いていくものであるそらが『生活様式』となった時には、それは文化になるのかもしれない。

⁂隔絶されたコミュニティ

これまで文化とは『連続性』をもち『主体性』を兼ね『創造することと護ることが同一』である『再帰性』をもつものであると定義した。
ではここで、限られた空間の、限られた人々にのみあるものは文化と言えるかを考えたい。
例えば誰かが、短歌として残っている和歌ではない、狭義の意味での和歌を詠んでいたとしよう。その時彼が、もしも世界でただ一人だけその形式の歌を詠んでいたならば、それは『文化』と呼んでいいか。
前述の説明での文化の定義にこれは当てはまらない。なぜならそこに連続性がないからである。それは確かに主体性を持って創造されており、かつてのものに再帰している。しかし、それを創造することでその歌が護られていると言えるかと言えば実のところそうはいかない。
なぜならばそれは『彼一人』で行われているだけだからである。それは結局のところ彼による過去への『懐古』なのであってそれは決して再帰性を持つとは言い難い。彼は一人では『文化』を体現し得なかったのである。
事実彼が亡くなればその『文化』と思われるものは潰える。連続性を維持することは出来ておらずそれはすなわち『再帰性』をも持たない。
のれはただの懐古である。
では彼はこれをどうすれば『文化』として再び護持できるのであろうか。
その時必要なのは『全体性』である。
それは文化圏での『全体性』である。その範囲は決して際限なく広がって行くものではないが、一部の人にのみ認められているものでもない。それは文化の認知と創造と維持がある文化圏で全体性を持っていることを必要とする。

文化圏とはなにか。それは文化が及ぶ範囲のことである。たとえば『日本文化』といえばそれは日本国の中であると定義できる。『〇〇地区の文化』と言えばそれは〇〇地区の中であると定義できる。この定義は曖昧で切り取ればどこでも文化圏になり得るのだが、少なくとも一人の人間が『これは俺の文化』というとそれは文化ではなくてただの趣向に過ぎないだろう。だからこの範囲は曖昧だが、決して狭すぎる範囲ではない。

『文化』の持つべき全体性は、常にこの『個人の趣向』を超えたものでなくてはならない。
例えば和歌で言うと、現在我が国で和歌は義務教育の中で教えられる。そうしてその学習者たちに実際に和歌を詠ってみようとする行為が残っている。また歌会と言って和歌を読み合うような団体もいるし、それには日本国民統合の象徴でもあられる天皇陛下も参加される事がある。
だから和歌は全体性を持っていると言える。それは日本文化圏という曖昧な囲いの中で、主だった全ての人が詠み得るという全体性を持って続いているのだ。
無論これは常に新しい和歌を創造する努力を我々に要求する。そうしなくては和歌の文化は護持されず、その連続性は途絶えるからである。歌人と呼ばれる職業がこの国に存在していて、また愛好会や同人などが組まれて和歌を詠むのも、この文化の創造による護持をしているに他ならない。
一人の人間の趣向ではなくて、文化圏での全体性を持ったときに、それは『文化』となるのである。
だから私とその友人2〜3人の間で流行っていることはすなわち文化とはならない。学校内で流行っているだけでも文化とは言い難い。
ただそれがその学校に置いて何度も再帰し、常に主体的にそれらを生み出す環境を得るに至ったときには、それはその学校という小さな文化圏における全体性を確保して、『文化』と言えるものになるであろう。
繰り返すがそれは再帰性を持たなくてはならない。かつての流行が路傍に捨てられるようであってはそれは再帰性を維持できない。常にかつてに立ち返り、その上で新たに創造することによって文化は護られるからである。

だから隔絶されたコミュニティに起こるものは文化とは言えない。そこには『全体性』と言うものが欠けているのである。一部の趣向を同じくする者が集まってみても、それが文化圏全体に波及しなくては、それは『文化』ではない。顔見知り同士で傷を舐め合っているうちにはそれは文化とは言えないのである。
ただこの時、文化圏での『全体性』はなにも肯定によって埋められるものではない。その中には当然に批判も認められるべきであるし、嫌悪する者がいることも認められて然るべきなのである。だから、
「これが文化であることは私は認めない!これは文化ではない」
と言うものがいたとしても、彼は間違いなくそれの存在を認めていて、その全体性に寄与しているに過ぎない。彼は否定することによって、それを文化と認めようとしているのである。

⁂新しい文化への嫌悪

以上のことから『文化』とは、次のように定義できる。それは、
「連続性と再帰性を持ち、創造される事と護持することが同一である、文化圏内において全体性を持つもの」
である。
この事から、特に最初の『連続性と再帰性』の部分によって新しく生まれた『文化』的なものを人は嫌悪する。なぜならばそれはまだ新しく、決して連続性と再帰性を確固たるものにしていないように感じられるからだ。
冒頭の文化人たちの言葉はこの感情によって導き出される言葉なのだ。
彼らは言う
「伝統に則していないものは文化ではない」
と。だが我々は既に『文化』が伝統的との認識を与えられているか否かを問わず、『文化』足り得ることを知っている。
彼らは尚も言う。
「文化とは伝統的、歴史的なモノである」
と。だがそれは確かに歴史的価値はあるのかも知れないが『文化』的な価値はないただの『モノ』であると、我々は既に知っている。
『文化』とは『モノ』ではない。『モノ』には創造することと護持することの同一性がない。それは単に『護られるべきモノ』なのであってそれは『文化』ではない。

しかしながら我が国では最近、『文化』とはある一部の文化人によって認められた『モノ』とする傾向がある。
歴史的建造物や史跡などを『文化的価値のあるモノ』として保存を図る取り組みもそうだ。確かにそれらには何度も言う通り歴史的価値や芸術的価値はある。だがだからと言ってそれを
「かつてあった文化の象徴」
などと喧伝するのは誤りだ。それは単に文化の再帰性と連続性を断つことに他ならない。

歌舞伎の一幕から退屈な恋のドラマまで、源氏物語から異世界転生小説までをも『文化』は包括する。それらは再帰性と連続性を保持している所作や言葉という脈々と受け継がれる『文化』そのものなのである。
我々はこれを創作し続けることによってのみ『文化』を護ることができる。
決して『文化』と書かれた箱の中に閉じ込めておいていいのではない。
今この国で起こっている文化保護の傾向は後者である。彼らはこの国の様々な『文化』を、『文化』と書いた箱に押し込めて無害な観覧物として保存しようと企んでいる。
文化の荒廃が始まる。そうしてこれらの『文化』と書かれた箱が、何の意味も持たず何者にも再帰しないかび臭いだけの汚物になった時に、この国の文化と言うものは滅ぶのである。

それは我々の精神の荒廃であり、魂の滅亡である。